2 成年後見制度の歴史(歴史で見る後見制度)
 成年後見制度がわが国に導入されたのは,2000(平成12)年になります。民法その他の法律の一部改正や任意後見契約に関する法律などの制定によります。したがって,成年後見法と言った法律があるわけはないので,ご注意ください。
 それまでは,判断能力が衰えた人のための制度として禁治産という制度がありました。聞いたことがある方もいらっしゃると思います。
 禁治産という制度は,裁判所から判断能力がない人だという宣告をされ,後見人がつけられるのですが,これだけ聞くと今の後見制度と同じように見えます。
 しかし,禁治産制度では,後見しかなく,宣告されたらいきなり何もできなくなってしまいます。これに対し成年後見制度では,判断能力喪失の程度によって保佐や補助といった中間の形が認められたのです。なお,準禁治産という制度もあったのですが,これは判断能力云々ではなく浪費者かどうかで,浪費者の財産管理権を奪うという目的のものでしたから,まったく別物です。
 そもそも禁治産も準禁治産も,もともと明治時代の家制度,大家族制度の下で,家産をいかに蕩尽させないかという趣旨から設けられた制度でした。本人の保護というよりも,家を守るための制度だったといえるでしょう。禁治産宣告がなされると,後見人は配偶者がいれば当然に配偶者が選任されました。また,戸籍にも記載されましたから,本人には×がつけられたようなものでした。本人の保護,福祉をどう図っていたのかというと,行政が施設入所などを措置という行政行為,行政サービスで行っていたのです。そこでは,今日のような高齢社会は想定されていませんし,福祉の視点もありません。
 こうした状況に対しては,家制度がなくなった戦後もずっと変わりませんでした。
それが1990年代になって,大きく潮目がかわりました。わが国が高齢化社会に突入し,やがて超高齢社会が到来するのが避けられないことになり,これまでの措置による福祉制度は破綻することが明らかになったからです。
 そこで1997(平成9)年に社会福祉基礎構造改革提言がなされ,大きく方針転換し,①本人の自己決定権の尊重,②残存能力の活用,③どんな人でも地域社会で活躍できる環境が保障されなければならないというノーマライゼーションという考えと本人の保護という視点から福祉制度が見直されたのです。なかでも「措置から契約へ」のスローガンが叫ばれ,介護保険制度が導入されて,福祉は民間が担い手となり,介護サービスの受給は契約によることになったのです。そして,それにあわせて従来の禁治産制度に代わって成年後見制度が立ちあげられることになったのです。
 さて,とにかく成年後見制度がスタートし,3類型と柔軟になったこと,保佐や補助において本人の同意が必要とされたこと,多様な後見人が可能になったこと,任意後見が導入されたことなど,禁治産制度と比較して,大きく変わりました。
その後,2005(平成17)年に高齢者虐待の防止,高齢者の養護者に対する支援等に関する法律いわゆる高齢者虐待防止法が成立し,高齢者の保護はすすんでいきました。
しかし,成年後見をめぐっては,必要な場面でも利用されていないといったアクセス面の問題や,後見人らの権限上の困難などが明らかになったり,いわゆる後見人による横領事件をはじめとする不祥事が頻発したりするなど様々な問題が生じました。そうした中で,見直しが少しずつ行われます。
2012(平成24)年に不祥事対策の一つとして後見制度支援信託が導入されます。2016(平成28)年に成年後見の事務の円滑化を図るための民法及び家事事件手続法の一部を改正する法律いわゆる円滑化法が制定され,後見人の事務権限の充実が図られました。総合法律支援法の一部改正を行って,日本司法支援センター(略称法テラス)の相談援助支援を拡充し,かつ行政不服申立手続代理援助も可能とされました。
一方,2014(平成26)年の障害者権利条約批准を受けて,支援の在り方について代行支援から意思決定支援への転換が意識されるようになり,2016(平成28)年に 成年後見制度の利用の促進に関する法律が制定され,これを受けて2017(平成29)年に成年後見制度利用促進基本計画が閣議決定され,成年後見制度利用について根本的な見直しがされようとしています。これについては最後にもう一度触れます。-つづく-

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